まみこ(32歳)と申します。夫と娘の3人暮らしで現在は事務パートをしています。短大卒後から27歳まで、地元横浜市の小さな認可保育所で勤めていましたが、腱鞘炎・ヘルニア・自律神経失調症を患ったことをきっかけに保育士を辞めました。乳児クラス担任の時、赤ちゃん達の毎日の抱き上げ・抱き下ろしが原因となって利き腕の右手首から肘が酷く腫れてしまいました。サポーターも付けないまま毎日汚れ物を洗ったり離乳食介助を続けたところ、バネ指も発症して保育業務に支障をきたすようになりました。また、4歳児クラス担任の時は、大縄跳びを回している最中に背後から男児に体当たりされ、ぎっくり腰を経てヘルニアになってしまいました。就学前児クラス担任の時は保護者とのトラブルが増え、不眠やめまいや突然の失語に見まわれました。内科で自律神経失調症と診断され、以後漢方薬と安定剤を飲むようになりました。保護者から持ち込まれる要望は多彩で、どうやって回答したら納得してもらえるだろうかといつも悩んでいました。特定のアトピーっ子に近づけないでほしい、プールの着替えの際は男の保育士を部屋から出してほしい、園の食事は栄養バランスが心配だからサプリメントを飲ませてほしい等、中には言いがかりに近いような申し出もありました。自分が働いているストレスを保育士にぶつけるような保護者もおり、連絡帳のやりとりが苦痛で仕方ありませんでした。その頃から、園児の名前を間違えたり、ロッカーの着替えの名前を確認しないで別の子に使ったりといった凡ミスが目立つようになり、チーフから注意されて落ち込むことが増えました。26歳で結婚し、そろそろ自分の子供がほしいと思い始めましたが、そのためには薬の服用を止めなければなりません。腱鞘炎・ヘルニアの痛みが限界に来ていたこともあり、思い切って退職を決意しました。「退職は無責任だ」「体が資本なのに鍛錬を怠る方が悪い」「担任クラスの卒園まで待つべきだ」等と保護者から罵られましたが、園長の無関心ぶりやスタッフ間の仲の悪さに対する嫌気も募っていたので、6月末で退職しました。園で育てる作物の備品(腐植土、支柱等)の購入費用が保育士の持ち出しだったことについても、モヤモヤした感情が残っています。保育士の仕事は体と心を壊します。私は子育てが終わっても、保育士に復職するつもりはありません。
保育士になると体を壊す!腱鞘炎・ヘルニア・自律神経失調症に悩まされた7年間
