私は空歩といいます。現在は介護の仕事をしています。私はもともと保育士として働いていたのですが、転職して現在の介護士となりました。昔から子どもが好きだったので、保育士になろうと思い、高校卒業後、保育士の資格が取れる短大に進学しました。当時、保育士になる男子生徒は皆無で私もクラスで一人だけの男子でした。短大の先生からは、保育園のバスの運転ができるよう大型免許の取得を勧められたので、在学中に大型免許を取得しました。大型免許のおかげか、卒業後、民間の保育園に就職が決まりました。初日に園長から「貴重な男手だから、最初は保育よりも営繕作業や環境整備、バスの運転を主にやってもらって徐々に保育にも参加してもらうから」との方針を伝えられました。それからは朝晩のバスの運転と園内の草刈りや庭木の剪定といった環境整備をこなしていきました。また園には壊れた箇所がたくさんありました。女性ばかりで修理できず、予算の都合上、外注も難しく放っておかれていたのですが、DIYご趣味だった私は少しずつ、修理していきました。すると他の先生はとても喜んでくれ、私を誉めてくれました。新社会人だった私は、必要とされ頼りにされた喜びから、より一層頑張りました。系列の他の保育園や幼稚園も男手がなく、修繕箇所や環境整備の仕事がかなりあったので、私は何かと呼び出されて、様々な作業を行いました。しかし保育の方はお手伝い程度しかできませんでした。一応担当のクラスはありましたが、アシスタント的な立場で、保育士と名乗って良いのかな?と思えるくらいでした。その状態が6年ほど続きました。ほとんどバスの運転手兼用務員のような扱いで、あまり保育にも参加できず、系列の園をクルクル回って作業ばかりの毎日でした。園長に何度も相談したのですが、全く改善が為されません。そのような作業も子ども達のためだと思うようにしましたが、やはり保育を中心にやっていきたいという思いは強く、覚悟を決めて園長と話し合いました。しかし、系列の園も含めて、園内でのポジションが決まってしまい、それに合わせた採用を行ったので、難しいとの結論でした。私は退職を決意しました。他の保育園を探そうと思いましたが、たぶん同じようなことになると思い、友人の紹介で介護の仕事を始めました。保育園の仕事は、サービス残業は当たり前で、労働時間も長く休みも取り難かったのですが、一番辛かったのは保育士らしい仕事ができなかったことです。今でも保育士だったと言って良いのかわからないくらいです。他の保育士の人からすれば、随分贅沢な悩みかも知れませんが、夢が破れた辛さは変わらないと思います。
バスの運転手兼用務員、時々保育士。
